【コラム2】高岡壮一郎の経歴(企業~)

【コラム2】高岡壮一郎の経歴(企業~)

【コラム】高岡壮一郎の経歴(三井物産入社~)」からの続きです。

企業(2005年~)

2000年初頭、高岡は入社3年目となり「情報産業本部」に異動した。そこでは、新規事業の立ち上げや、ベンチャーへの投資、数百億円規模のM&Aにも携わった。

様々な業務を通して経験を得る中で、合併後に利益を出すためにリストラをするシーンにも直面した。経営者が利益を出すために出来る最も簡単なことは人件費を削ることだ。経営者は判断を下すだけで、実際にリストラを告げるのは別の人間だ。しかし、リストラを行ったところで株主の配当や経営者の利益がいくら上がるというのだろうか。

高岡は3年目にして、若手なりに経営の本質について考えるようになっていた。ただただお金を追い求めるのではなく、事業を通して社会貢献がしたい、社員を豊かにしたい。世の中に対して強いインパクトを与えたい。そういう思いが強くなっていったという。

時を同じくして、シリコンバレーでは新しい風が吹いていた。米国エリートが目指すのは大企業ではなくベンチャーという流れができつつあった。Google創業から様々なインターネット関連企業が日本でも生まれ、新設された東証マザーズ市場に上場するようになっていた。仕事で多くの米国ベンチャーとかかわるうちに、新しい価値を生み出し世の中に革新を与えることで、リスペクトを得ることのできるベンチャーへの憧れは強くなっていったという。

自身が丁度30歳に差し掛かった時、日本は時代の大きな転換点を迎えていた。仕事上、様々な統計に目を通す高岡は、2005年から日本の人口が減少するということに気が付いた。人口減少社会に変わったとき、従来型の社会のひずみが顕在化して、社会的な課題が発生する。

その解決がビジネスチャンスであると感じた高岡は、同年8月にアブラハム・グループ・ホールディングス株式会社(現あゆみトラスト・ホールディング株式会社)を仲間とともにワンルームマンションの一室で創業する。

創業当初は、ノートとPCと携帯電話しかない狭い部屋で懸命に働いた。

コピー機をリースしようとしたら、新しい会社は信用がないからと断られたという。営業マンがオフィスを見た途端に同情した顔で無言で立ち去るという場面も多々あった。それすらも楽しいと思ってくれるような仲間と朝から晩まで働き通した。当時は企業自体が珍しく、31歳の起業家というだけで『フォーブス日本版』に大きく取り上げられた。

高岡の企業の目的は、社会的課題の解決であり、社名の由来は「アブラハム・マズロー」である。「欲求の5段解説」で有名なあのマズローだ。人口減少社会となった日本では、自己実現こそが、これからの人々が求めるものだと確信していたのでそれを応援するという意味を込めてこの社名にしたという。

当時の日本一番の課題は「不景気」であった。「失われた10年」とも言われており、先が見えず暗い時代が続いた。そこで高岡は、人口が増えている富裕層に目を付けた。日本の金融資産の約20%は上位1%の富裕層が保有しており、富裕層が活発に消費を行えば、経済が活性化すると考えたからだ。創業間もない小さな会社が社会全体にインパクトを与えることをやるには、富裕層をターゲットにしたビジネスが最適だと考えた。

高岡は、富裕層のニーズを調べるべく知り合いの紹介で当時「ヒルズ族」という言葉が生まれるほど話題になっていた、六本木ヒルズデビューをした。六本木は危ない場所だと聞いて近づかないようにしていたが、恐る恐る近づいてみると、芸能人や女性タレントをはべらせながらパーティをするという世界が本当にあった。

そこで感じたのは、富裕層は孤独であり、信頼できる富裕層同士のネットワークが求められているということだ。

そのことをきっかけに、金融資産1億円以上の富裕層限定のオンライン・プライベートクラブYUCASEE(ゆかし)を立ち上げた。

これが当時の『日本経済新聞』や『NHK』に取り上げられ、大きな注目を浴びた。

2006年に誕生したYUCASEE ( ゆかし)は、誰でも入れるというわけではなく、入会には厳正な審査を実施した。内容は、純金融資産1億円以上を保有しているかどうかだ。純金融資産とは、負債を差し引いた後の現金や有価証券のことで、“本当の”富裕層に限定するために設定した。

ぞくぞくと30代から50代の新富裕層からの入会があり、瞬く間に日本最大級の富裕層コミュニティになり、瞬く間に高収益の黒字事業に成長した。高岡自身も富裕層の体験をして、たくさんの富裕層と触れ合う中で、富裕層は「海外ファンド、特にヘッジファンド」に興味があることが分かった。富裕層が好きなのは「消費ではなく、投資なのだ」と、その時に気付いたという。よく考えれば当たり前のことで、貯金と消費をしているだけでは、富裕層に留まることはできないからだ。

そこで、グループ子会社として富裕層向けに投資情報を提供していたアブラハム・インベストメント株式会社の商号をアブラハム・プライベートバンクに変更した上で、海外ファンドに関する情報提供を専門にする投資助言業として金融庁に変更登録し、2008年に営業を開始した。

【コラム3】高岡壮一郎の経歴(新しいビジネスモデルで日本に変革を~)」に続く。