【コラム】高岡壮一郎の経歴(三井物産入社~)

【コラム】高岡壮一郎の経歴(三井物産入社~)

三井物産入社(1999年~)

高岡壮一郎(以下;高岡)が新卒で入社したのは三井物産株式会社という商社である。

入社配属面談で、どこの部署に行きたいのかと聞かれた際に「ビジネスの知識が1番身につくところ」と答えて、『海外審査室』という部署に配属された。

入社3年目に『情報産業部』という営業部隊に移るまで、ビジネスマンとしての基礎はここで鍛えた。

当時の上司は誰よりも早く出社して新聞を読み、部下が知るべき情報に赤線を引いてくれていた。取引先との連絡や海外経済レポート等、すべて英語なのだが、英語圏の書物は結論や要点が先に先に書いてあるので、ことビジネスにおいては英語のほうが簡単といえた。

そのほかにも、事業投資や事業計画の審査には、財務・経理・法律の知識が必要になるが、それらは名著と呼ばれる本を読んで学んでいった。

高岡が入社したのがGoogle創業の1年後である1999年だったこともあり、事業投資の審査に必要だった幅広い実践的な知識はGoogleで検索することで対応していた。

高岡は当時、欧州の担当をしており、ロンドン在住の関係者とメールで仕事をしていたのだが、「日本に仕事のできる奴がいる」と噂になったらしい。その正体が実は一年坊主であると知って、とても驚かれていた。

のちに高岡は「インターネット×金融×グローバル」の分野で起業することになるが、この領域が伸びるであろうという確信は、この入社1年目の経験から来ているという。

事業投資の審査担当の末端として、各事業部長や事業責任者の多くと話をする中で、儲かりそうなビジネスを提案してくる人の多くはその人自身い「色気」があるとわかった。当時の先輩はこれを「金のにおいのする人、しない人」と表現していた。

当時の物産の人事評価票の中には「商売センス」という項目があり、会社として公式に能力として認められていた。

高岡は後に起業、1年後にベンチャーキャピタル他から5億円近く資金調達をするわけだが、出資をしてくれた企業の1つに東京海上火災保険会社株式会社(現東京海上日動)本社の金融部隊がある。当時の投資部長が「あの髙岡という社長は、スーパー社長だ。儲かる匂いがする」と高岡の「商売センス」を褒めたという。

【コラム2】高岡壮一郎の経歴(企業~)」に続く。